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著者の言葉
卑彌呼とは誰なのか、邪馬台国とはどこに
有ったのか――は、日本の古代史の謎として
多くの歴史ファンの興味をひいてきた。私も強く興味を持った一人で、かつて、
数年をかけて自分なりの調査をし、
卑彌呼が眠るとされる大和地方を訪ね歩いた。
その結果を、(一方的な思いこみは排して)
なるべく科学的にまとめたのが本書である。 |
表紙・扉 | ||
まえがき | ||
目次・中扉 | ||
第1章 | 奈良時代の学者も知っていた女王〈卑彌呼〉 | 1.1 『魏志倭人伝』の二つの謎 1.2 《邪馬台国》九州説と大和説 1.3 『記紀』と『魏志倭人伝』 |
第2章 | 〈卑彌呼〉とは誰か? | 2.1 〈天照大神〉説 2.2 〈神功皇后〉説 2.3 〈倭迹迹日百襲姫命〉説 2.4 『記紀』に記されていない〈卑彌呼〉存在説 |
第3章 | 『魏志倭人伝』の概要 | 3.1 議論の少ない対馬から奴国まで 3.2 議論百出の奴国から先 3.3 風俗・習慣・制度 3.4 〈卑彌呼〉の時代の東アジア 3.5 〈卑彌呼〉以後の東アジアと日本の安全保障 3.6 謎の多い七つの対魏外交記録1 ―景初三年― 3.7 謎の多い七つの対魏外交記録2 ―正始元年から泰始二年まで― 3.8 果たして殺人事件か〈卑彌呼〉唐突の死 3.9 『魏志倭人伝』成立の経緯 |
第4章 | 『魏志倭人伝』の信憑性 | 4.1 又聞きの信憑性 4.2 地理的な信憑性 4.3 シナ正史自体の信憑性 |
第5章 | 〈卑彌呼〉という名の探索 ―併せて冊封体制からの独立と国名および天皇号― | 5.1 『記紀』のどこを切っても出てくる〈卑彌呼〉 5.2 《倭》と《大和》の語源 甲類乙類の違い 5.3 《大和》の地理の概略 5.4 《日本》と「天皇号」の由来 5.5 『魏志倭人伝』の信憑性についての結論 |
第6章 | 〈天照大神〉説の検討 | 6.1 〈天照大神〉と「天の岩屋」 6.2 出雲の国譲りと天孫降臨 6.3 初代神武天皇の東征物語 6.4 〈饒速日命〉の帰順と狭井川の恋歌 6.5 神武天皇の即位と崩御 6.6 「天の岩屋伝説」は果たして日蝕神話か 6.7 古代の日蝕と『記紀』の実紀年 6.8 〈卑彌呼〉=〈天照大神〉説の確からしさ |
第7章 | 〈神功皇后〉説の検討 | 7.1 第十四代仲哀天皇の悲劇 7.2 朝鮮の史書『三国史記』と『好太王碑』にのこる〈神功皇后〉の事績 7.3 男装の〈神功皇后〉疾風怒濤の海外遠征 7.4 『好太王碑』碑文による三韓征伐の確認 7.5 謎の多い〈神功皇后〉東征伝説と『魏志倭人伝』からの引用 7.6 任那日本府の設置と新羅との軋礫 7.7 七枝刀の献上と〈臺與〉の時代の使者派遣 7.8 八幡宮の祭神になった第十五代應神天皇 7.9 論語の到来と船団の炎上そして高句麗国書の破棄事件 7.10 應神天皇の崩御と〈神功皇后〉の実在性 7.11 《石上神宮》の七支刀 ―〈神功皇后〉実紀年の推理― 7.12 『魏志倭人伝』との奇妙な一致 7.13 〈卑彌呼〉=〈神功皇后〉説の確からしさ |
第8章 | 〈倭迹迹日百襲姫命〉が活躍する崇神天皇の時代 | 8.1 大和朝廷の実質的な創始者? 第十代崇神天皇の即位 8.2 崇神天皇の《三輪山》進出と苦難のはじまり 8.3 崇神天皇を教え導いた〈倭迹迹日百襲姫命〉の神託 8.4 《三輪山》と《大神神社》1 ―その格式と山の辺の道― 8.5 《三輪山》と《大神神社》2 ―千古の謎を秘めた三ツ鳥居の奥― 8.6 《三輪山》と《大神神社》3 ―『記紀』にみる三輪一族の人々― 8.7 《三輪山》と《大神神社》4 ―磐座と祭神の謎― 8.8 〈倭迹迹日百襲姫命〉の未来予知と奇怪な急死 そして四道将軍の派遣 8.9 稲荷山刀銘による四道将軍派遣の史実性の検討 ならびに出雲・任那との関係 8.10 「非時の香菓」を求めた第十一代垂仁天皇の物語 8.11 悲劇の王 日本武尊が活躍する第十二代景行天皇紀 |
第9章 | 〈倭迹迹日百襲姫命〉と《籠神社》の秘密 ―文献史料でみる《邪馬台国》大和説― | 9.1 〈倭迹迹日百襲姫命〉の親族 9.2 〈卑彌呼〉=〈倭迹迹日百襲姫命〉説を初めてとなえた笠井新也 9.3 笠井新也説を学問的に深めた肥後和男 9.4 〈倭迹迹日百襲姫命〉という奇妙な名の意味と別名 9.5 『倭姫命世記』に記された《伊勢神宮》への遷宮経路 9.6 《大和》を離れた最初の元伊勢《籠神社》の神宝 9.7 《籠神社》が千年以上秘匿した秘宝『勘注系図』の謎 9.8 『勘注系図』にある驚くべき〈倭迹迹日百襲姫命〉の尊称 9.9 『勘注系図』と〈卑彌呼〉についての二、三の推理 9.10 「三種の神器」の謎について |
第10章 | 〈倭迹迹日百襲姫命〉が眠る日本最古の「超巨大」前方後円墳《箸墓》の謎 ―併せて《大和》に展開する雄大な《纒向京》― | 10.1 《邪馬台国》の有力候補地《大和》の地理と地勢 10.2 「唐古・鍵遺跡」と《纒向京》の地勢と時代 10.3 《纒向京》周辺の主要地域 10.4 遺跡の木材の伐採年を確定する「年輪年代法」 10.5 「年輪年代法」の衝撃と編年表の大修正 10.6 《纒向京》に集中する「祖型および前期」前方後円墳の概観 10.7 国家の黎明を告げる古代の都《纒向京》1 ―その自然と祭祀― 10.8 国家の黎明を告げる古代の都《纒向京》2 ―その都市構造― 10.9 《纒向京》にある「祖型」巨大前方後円墳の概要 10.10 《纒向京》のシンボル 日本最古の「超巨大」前方後円墳《箸墓》の謎1 ―形状と造営の経緯― 10.11 《纒向京》のシンボル 日本最古の「超巨大」前方後円墳《箸墓》の謎2 ―造営法と出土品― 10.12 〈卑彌呼〉=〈倭迹迹日百襲姫命〉説の確からしさ |
あとがき | ||
文献 | ||
付録 | ||
奥付 | ||
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裏表紙 | ||
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